
朝の情報番組のテーマソングといえば、「新しい一日の始まり」「希望に満ちた輝かしい未来」「君なら何でもできる」といった、キラキラとしたポジティブなメッセージがが常である。
しかし、2020年に日本テレビ系『ZIP!』のテーマソングとして書き下ろした「The song of praise」は、そうした手垢のついた「朝の爽やかさ」に対する鮮烈なアンチテーゼであった。
描かれるのは、「夢見る若者」の姿ではなく、理想と現実のギャップに打ちのめされ、徒労感にまみれ毎日を満員電車に揺られる「泥臭くて、不格好な大人たち」の姿である。
この記事では、本作に込められた「少しの毒」と「大人のリアリズム」、そして綺麗事を一切排除したからこそ到達できた究極の自己肯定について、徹底的に深掘りしていく。
狂気的なアナログへの執念と、分断の時代に鳴らされた「大合唱」
「The song of praise」は、2020年12月リリースの20枚目のオリジナルアルバム『SOUNDTRACKS』に収録された。
前述のとおり朝の情報番組『ZIP!』のテーマソングとして書き下ろされた1曲。

ミスチルが朝の情報番組のテーマを担当するのは、2012年の「Happy Song」(めざましテレビのテーマソング)以来である。
2020年は、コロナウイルスによるパンデミックが世界を覆い、社会全体が先行きの見えない不安と閉塞感に包まれていた。
「明日はきっと良くなる」という根拠のない言葉が空虚に響く極限状況下において、桜井和寿は「今を生きる自分達を互いに讃え合えるよう願って」という切実なメッセージと共にこの曲を世に放った。
※2020年3月時点ですでに本作は完成しているので、コロナウイルスがあたえた影響はないとは思う。
特筆すべきは、この楽曲が持つ途方もないスケール感と、相反するように同居する「生々しい温もり」である。
Mr.Childrenは前作『重力と呼吸』で剥き出しのバンドサウンドを追求したが、本作ではさらにその先へと踏み込み、ロンドンとロサンゼルスの歴史的スタジオでの海外レコーディングを敢行した。
冒頭、一人の男が自室でため息をつきながら爪弾くような、孤独でパーソナルなアコースティックギターの響きから楽曲は幕を開ける。そこからサイモン・ヘイルによる重厚なストリングスが加わり、クライマックスに向けて怒涛のクワイア(合唱)が押し寄せてくる。この音響のダイナミズムは、個人のちっぽけな呟きが、やがて世界全体を巻き込む壮大な讃歌(Anthem)へと昇華されていくプロセスそのものである。
また、この曲が真の完成を見たのは、リリースから数年が経過したライブツアー(『Mr.Children tour 2023/24 miss you arena tour』等)の空間である。
極めて内省的でダークな世界観を持つアルバム『miss you』の楽曲群で観客を深淵へと引きずり込んだ後、ライブの終盤、まるで暗雲を切り裂く一筋の光のようにこの曲が投下された。
長らく禁じられていた「観客の声出し」が解禁され、数万人のファンが「Oh oh oh...」というコーラスを共に歌い上げた瞬間。それは、コロナ禍を生き抜いた各人が互いの人生を肯定し合うという、言葉に絶するカタルシスを生み出していた。
【マニアック録音メモ】 本作のレコーディングはロンドンのRAK Studios等で行われ、SealやSam Smithを手掛けたグラミー賞エンジニア、Steve Fitzmauriceがミキシングを担当。さらに、デジタル全盛の現代においてアナログ特有の質感に異常なまでにこだわり、Abbey Road StudiosのMiles Showellによるハーフ・スピード・カッティングを経た180グラム重量盤レコードもリリースされている。ちなみにアートワークはKing Gnuの常田大希率いるPERIMETRONが担当。
ここからは管理人の「The song of praise」独自解釈!
【歌詞の意味】諦念の先にある「不格好な大人への讃歌」
ここからは、実際の歌詞を引用しながら、本楽曲が孕む泥臭いリアリズムと、大人ゆえの諦念が生み出す自己肯定感を、4つの視点から解き明かしていく。
① シーシュポスの岩のような徒労感と、現状への「愛憎」

積み上げて また叩き壊して 今僕が立ってる居場所を 憎みながら 愛していく ここにある景色を讃えて
いつも取るに足らないことに頭悩まされてた 毛頭 それで何か変わりそうな予感すらしていないのに
この冒頭のフレーズを聴いて、社会人の方は「自分のことだ」と思うのではないか。
懸命に努力して積み上げてきたものを、自らの些細なミスや、理不尽な環境の変化によって一瞬で「叩き壊して」しまう。
まるでギリシャ神話で永遠に岩を山頂に運び続けるシーシュポスのような、終わりのない徒労感、それが大人の日常の正体。

「いつも取るに足らないことに頭悩まされてた / 毛頭 それで何か変わりそうな予感すらしていないのに」という一節には、
生産性のない会議や、人間関係のいざこざにリソースを奪われ続ける現代社会のリアルが頭をよぎる。
どうにもならないと分かっているのに悩むのをやめられない、人間の矮小な愚かさを見事にすくい上げている。
そして特筆すべきは、そんな結果として辿り着いた現在を「憎みながら愛していく」と言い切っていること。
「最高の人生だ!」と手放しで喜ぶのではなく、「こんなはずじゃなかった」と呪い、憎悪しながらも、それでも自分が選んで生きてきたこの場所を愛するしかないという切実な諦念。
綺麗事を排除し、「憎しみ」と「愛」という相反する感情をそのまま飲み込むこの姿勢こそが、自己肯定を成立させているのである。
② 「無限の可能性」という青春の呪縛からの解放
昔は 自分の価値を過信しては 高い空を見上げて過ごした
(中略)
僕に残されている 未来の可能性や時間があっても 実際 今の僕のままの方が 価値がある気がしてんだよ
かつてのMr.Childrenは、「終わりなき旅」に代表されるように、高みを目指し、自分にはもっと大きな可能性があるはずだと信じて前へ進む「青春の焦燥と希望」を歌ってきた。
しかし、50代を迎えた桜井和寿は、そんなかつての自分を「自分の価値を過信していた」と冷徹な視点で突き放す。
若い頃の「何にでもなれる」「自分は特別な存在である」という万能感は、年齢を重ね、社会の荒波に揉まれる中で容赦なく削り取られていくものだ。
これは「FIGHT CLUB」のテーマにも通じる。
だが、驚くべきことに、その万能感の喪失を「悲劇」としては描いていない。
「未来の可能性」という、世間一般では最も尊ばれる未確定のカードよりも、「実際 今の僕のままの方が価値がある」と断言してのけるのだ。
数々の失敗を繰り返し、妥協を覚え、夢を諦め、それでもなんとか生き延びて形成された「替えのきかない、泥だらけの現在の自分」。輝かしい未来の幻想に逃げ込むことをやめ、傷だらけで不完全な「今の自分」に最大限の価値を見出すこのフレーズは、現実の限界を知った大人へ向けた、最強のファンファーレである。
③ 都会の夕日に照らされる、逃げ場のない現実
だけど逃げるは論外 だって他に行き場なんかない
(中略)
駅ビルの四角い窓から 時々 夕日が顔を出し 憐れむように 讃えるように 僕の顔を照らした
ここの情景描写は、「夕日が優しく包み込み、明日への活力をくれた」といった安直な感動ポルノに逃げてしまうところだ。
しかし、「逃げるは論外 / だって他に行き場なんかない」という、身も蓋もない現実の突きつけ方がたまらない。
転職する勇気もなく、今の生活を捨てることもできない。ただ耐えて、明日もまた同じ電車に乗るしかない。
そんな閉塞感の中で見る「駅ビルの四角い窓からの夕日」は、決して希望の光などではない。
夕日は、疲れ果てた主人公の顔を「憐れむように」、と同時に「讃えるように」照らす。
お前はちっぽけで惨めだけれど、今日も一日よく耐え抜いたな、と。
神様からの祝福ではなく、ただ無機質な自然現象がもたらす一瞬の残酷な美しさ。それに一喜一憂しながら帰路につく労働者の背中が、目に浮かぶほどリアルに、そしてシニカルに描かれている。
④ 「小さな歯車」であることの積極的肯定と利他の精神

そう誰もひとりじゃないんだ 僕だって小さな歯車 今なら 違う誰かの夢を通して 自分の夢も輝かせていけるんだ
(中略)
誰もひとりじゃない 誰もひとりじゃない きっとどっかで繋がって この世界を動かす小さな歯車 だからどっかでぶつかって この世界で藻掻く小さな そう小さな歯車
ロックミュージックにおいて、「社会の歯車になること」はネガティブな諦めの象徴として忌み嫌われてきた。
しかし桜井は、自らを「僕だって小さな歯車」と位置づけ、それを極めてポジティブに反転させる。
「自分だけの特別な夢」を追いかけるという承認欲求から脱却し、「違う誰かの夢を通して自分の夢も輝かせる」という境地。
これは、自分が社会という巨大な機械の「ただの部品」に過ぎないという残酷な事実を完全に受け入れた上で、それでもなお「誰かと繋がり、世界を動かしている」という利他の誇りを手にした瞬間の証明である。
さらに、「だからどっかでぶつかって / この世界で藻掻く」と続くように、歯車同士がスムーズに噛み合うことなど稀である。
人間関係の摩擦で火花を散らし、摩耗し、藻掻き苦しむ。それでも、その摩擦(=ぶつかること)すらも「誰もひとりじゃない」からこそ起きるのだと肯定する。
最後に「呪いながら」「嫌いながら」とネガティブな感情をエスカレートさせつつも、最後の最後で「ここにある景色を讃えたい」と締めくくるこの泥臭さこそが、Mr.Childrenが提示する成熟したロックの形なのだ。
まとめ:不格好に藻掻く「歯車」たちへの最強の労働讃歌
「The song of praise」は、現代社会を這いつくばって生きる大人たちのための泥臭い自己肯定ソングである。
朝の爽やかな情報番組のテーマとは裏腹の大人の泥臭さが、本作には隠されていた。
夢は叶う、君は特別だ、という耳触りのよい嘘はない。
あるのは、理想から遠く離れた場所で、現状を呪い、憎み、嫌いながらも、明日また同じスーツを着て出社する我々の「逃げ場のない現実」だけ。
しかし、その泥にまみれた不格好な日常の営みこそが、世界最高峰のアナログサウンドと壮大なコーラスによって、神話のように「讃えられて」いる。
自分が「小さな歯車」に過ぎないことを受け入れた大人だけが持つ、タフでシニカルな優しさ。
明日もどうせ理不尽なことばかりで、積み上げたものはまた壊されるだろう。それでも、藻掻きながら回るその歯車の摩擦熱こそが、今の私の、あなたの確かな「価値」だ。逃げ場のないこの世界で、憎みながら、愛していこう。









