
ミスチル/20thアルバム『SOUNDTRACKS』の収録曲「Brand new planet」
有村架純主演のドラマ『姉ちゃんの恋人』の主題歌として、お茶の間に爽やかな感動を届けたMr.Childrenの「Brand new planet」。世間一般の評価としては、「コロナ禍の日本を明るく照らした、壮大で希望に満ちたポップソング」といったところだろう。確かに、表面上のサウンドはどこまでも開けていて美しい。
しかし本作は、キラキラした無邪気な希望の歌などでは決してない。50代を迎えたおっさんたちが、自らの老いと限界を直視し、過去の栄光を一度「葬り去る」という凄絶なプロセスを経て鳴らした、泥臭いまでの生存宣言である。
私がはじめて『SOUNDTRACKS』を聴いたときは明らかに本作と「documentary film」が頭一つ抜きんでてる印象を受けた。キャッチ―でシングルにしても十分な一作。
若者が歌う「夢は必ず叶う」といったペラペラな希望ではない。幾度も挫折を味わい、現実の壁にぶち当たり、それでも捨てきれなかった「いじけた欲望」を抱えた大人のためのリアリズムがここにはある。本記事では、この楽曲が纏う「光」の裏側に潜む圧倒的な「闇」と「諦念」、そして緻密に計算された音響的アプローチについて、一切の美辞麗句を排除して徹底的に深掘りしていく。
1. 楽曲の基本情報・背景と、恐るべき音響設計の執念
2020年12月にリリースされた20作目のオリジナルアルバム『SOUNDTRACKS』。メンバー全員が50代という人生の折り返し地点を迎えて制作された本作は、バンドのキャリアにおいて極めて重要なターニングポイントとなった。
その象徴が、アルバムの冒頭を飾る「DANCING SHOES」から「Brand new planet」への狂気的とも言える曲順配置である。
1曲目の「DANCING SHOES」は、重々しいバスドラムと冷徹なアコースティックギターで構成された、極めてダークで突き放した楽曲だ。
【ミスチル】「DANCING SHOES」歌詞の意味とは?〜「四半世紀」の重圧とダリの狂気。国民的バンドの生々しすぎる本音〜
四半世紀以上もトップランナーとして走り続けてきた自分たちに対する、世間の容赦ない視線への皮肉。そんな重苦しい「閉塞と闇」を散々に見せつけた直後、2曲目の「Brand new planet」のイントロが鳴り響く。
暗澹とした密室から一気に視界が開け、壮大なオーケストレーションとバンドサウンドが押し寄せるこの瞬間のカタルシスは、個人的には最高の流れである。
これぞアルバム単位で聞く意味がある構成だ。
この劇的な「闇から光への解放」は、ギタリストである田原健一の提案によるものだという。ボーカルの桜井和寿が「アルバム全体が輪廻転生していくよう」と語った通り、この配置こそが楽曲の持つ「再生」のテーマを極限まで引き出している。
さらに特筆すべきは、本作が『深海』以来となる海を越えたアナログ・レコーディングで制作されたという事実だ。ロサンゼルスのSunset Soundでのバンドセッションと、ロンドンのRAK Studiosでのサイモン・ヘイルによる重厚なストリングスアレンジ。ProToolsによる安易な切り貼りや修正が利かないアナログ録音は、メンバーに「ライブさながらの一発録りの緊張感」を強いた。スティーヴ・フィッツモーリスの卓越したミキシングによって、ベースドラムの皮の振動やアコースティックギターの生々しい空気感が、驚異的な「体温」を伴ってパッケージされている。
【マニアック録音メモ】1曲目と2曲目でボーカルの定位(マイクとの距離感)が露骨に異なる点に注目。「DANCING SHOES」では冷たく突き放すような質感だった歌声が、「Brand new planet」の歌い出しでは、鼓膜に直接触れるほど生々しく親密な距離に配置されている。また、サイモン・ヘイルのストリングスがあまりにも美しすぎたため、桜井が「こんな完璧なアレンジをされたら、どんなメロディでも名曲に聴こえてしまう」と嫉妬混じりの敗北感を漏らしたという逸話も、この楽曲の異常なクオリティを物語っている。
ちなみにドラマ『姉ちゃんの恋人』では、「地球儀」が劇中のキーアイテムとして登場する。まさに「Brand new planet」を想起させる。

↓ グッズとして地球儀キーホルダーも販売していた。

ここからは管理人の「Brand new planet」独自解釈!
2. 【歌詞の意味】大人のリアリズムと、葬り去れなかった「可能星」
ここからは、実際に提供された歌詞を引用しながら、「Brand new planet」の核心である「大人の諦念と再生」について、4つの切り口で解剖していく。
① 宇宙の暴力的なスケールがもたらす「矮小な焦燥感」への救い
立ち止まったら そこで何か 終わってしまうって走り続けた でも歩道橋の上 きらめく星々は 宇宙の大きさでそれを笑っていた
年齢を重ね、社会的な責任を背負った大人は、常に「立ち止まることへの恐怖」に急き立てられている。立ち止まれば、自分の居場所がなくなるのではないか。残された時間は少ないのではないか。そんな強迫観念に追われ、息を切らして走り続けてきた主人公がふと立ち止まったのが、「歩道橋の上」である。
歩道橋とは、地面(現実)から少しだけ離れた、空(理想)に近い中間地点だ。そこで見上げた星々は、人間の一生など一瞬の瞬きに過ぎないという「宇宙の暴力的なまでの大きさ」をもって、主人公のちっぽけな焦燥感を嘲笑う。しかし、この「笑っていた」は決して冷酷なものではない。「お前の悩みなんて、宇宙規模で見れば塵のようなものだ」という圧倒的な俯瞰の視点が、逆説的に主人公の肩の力を抜き、自らを縛り付けていた呪縛から解放する救いとなっているのだ。
② 飼い殺した「憧れ」の葬送と、未練がましい「可能星」

静かに葬ろうとした 憧れを解放したい 消えかけの可能星を見つけに行こう 何処かでまた迷うだろう でも今なら遅くはない 新しい「欲しい」まで もうすぐ (中略) この手で飼い殺した 憧れを解放したい
大人は皆、無自覚のうちに自分の中の「憧れ」を殺して生きている。現実との折り合いをつけるため、あるいは傷つかないための防衛本能として、かつての夢を「静かに葬ろう」とし、「この手で飼い殺した」のだ。この痛烈な自己批判こそが、本作が大人の胸を抉る最大の要因である。
そして、「可能性」をあえて「可能星」と表記する言葉遊び。単なる未来への期待ではなく、宇宙空間に浮かぶ物理的な「新しい星(planet)」と、自分自身の内なる「新しい『欲しい』(欲望)」を重ね合わせている。消えかけであっても、迷うことがわかっていても、「今なら遅くはない」と手を伸ばす。そこには、若さゆえの無鉄砲さではなく、痛みを熟知した大人ならではの凄絶な決意が滲み出ている。「葬ろう」の語尾の「お」の母音が持つ豊かな響きを死守した桜井のボーカルアプローチからも、この言葉が決して替えの効かない必然であったことが窺える。
③ 泥臭き鈍器としての「Les Paul」と、大人の現実逃避

遠い町で暮らしたら 違う僕に会えるかな?
頭を掠める現実逃避 さぁ 叫べ Les Paulよ いじけた思考を砕け
「遠い町で暮らしたら 違う僕に会えるかな?」。誰もが一度は抱く、甘えに満ちた現実逃避の思考である。青臭いバンドであれば、ここで「逃げずに立ち向かえ!」と綺麗事を歌うかもしれない。しかし、Mr.Childrenは違う。彼らはその「いじけた思考」を、洗練された言葉ではなく、物理的な音の暴力で叩き割ろうとする。
なぜ、歯切れの良いストラトキャスターでも、鋭いテレキャスターでもなく、「Les Paul(レスポール)」でなければならなかったのか。レスポールは、重厚で太く、泥臭いサウンドを放つギター。まさにクラシックロックの象徴である。スマートに問題を解決するのではなく、分厚く歪んだギターの音の塊を「鈍器」として振り下ろし、凝り固まった大人の卑屈な思考を粉砕する。この具体的な楽器名のシャウトは、彼らが本質的にはゴリゴリのロックバンドであることを痛烈に思い出させる、本作屈指のフックである。
④ 憂鬱とのキス。過去に「さようなら」を告げる凄絶な覚悟

さようならを告げる詩 この世に捧げながら 絡みつく憂鬱にキスをしよう 何処かできっと待ってる その惑星(ほし)が僕を待ってる
楽曲の終盤に配置されたこのフレーズこそが、「Brand new planet」の真髄である。彼らは「憂鬱」を吹き飛ばそうとはしない。無理にポジティブに振る舞うこともない。自分に「絡みつく憂鬱」を排除するのではなく、人生の一部として受け入れ、「キスをしよう」と抱きしめるのだ。
そして「さようならを告げる詩」という言葉。これは単なる別れの歌ではない。過去の栄光、若かりし日の無邪気な自分、叶わなかった理想。それらすべてに一度完全なる「死(さようなら)」を与え、喪に服すことでしか、真の「再生」は始まらないという残酷な真理を歌っている。「終わり」を深く自覚しているからこそ生まれる凄絶なまでの覚悟。消えない憂鬱と痛みを背負ったまま、それでもまだ見ぬ新しい「惑星(ほし)」へと離陸していく。これこそが、幾多の時代をサバイブしてきたMr.Childrenが提示する、究極の「大人の希望」の形である。
まとめ:傷だらけの大人たちへ贈る、憂鬱なる生存宣言
「Brand new planet」は、一聴すると煌びやかなポップソングの皮を被っているが、その実態は「老い」「諦念」「過去への葬送」という重苦しいテーマを通過した上で鳴らされる、泥臭いロックアンセムである。
私たちは皆、日常という名の終わらないループの中で、少しずつ「憧れ」をすり減らし、見えないふりをして生きている。
だが、絡みつく憂鬱を無理に引き剥がす必要はない。
いじけた思考を抱えたままでも、過去の自分にさよならを告げ、消えかけの「可能星」に向けて這いずりながら進めばいい。50代を迎えたモンスターバンドが、自らの血肉を削って鳴らすこの壮大な再生の音楽は、不条理な現実を生きる我々の背中を、容赦なく、しかしとてつもない温もりをもって押し出してくれるのだ。さぁ、新しい「欲しい」まで、もうすぐだ。









