サザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」は、あらゆるメディアで「衝撃的だった」と語られている。しかし、私も含めたリアルタイムを生きていない人にとって、何が衝撃的だったのかイマイチ分からない。本記事では、あらゆるコラムを参照して、「勝手にシンドバッド」がいかに衝撃的だったか、そしてどんな影響を与えたのかを解説する。
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そもそもサザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」とは
出典:https://www.amazon.co.jp
サザンオールスターズが1978年6月25日に発売した1stシングル。
レコードのみの発売だったが、1988年6月25日(デビュー10周年記念)にCD化、2003年6月25日(デビュー25周年)には「勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス」として再販されている。
再販などを合算すると、80万枚以上を売上げている。
350万枚以上を売上げたベストアルバム『海のYeah!!』では1曲目を飾ったり、2018年大晦日放映『第69回NHK紅白歌合戦』では大トリとして「勝手にシンドバッド」を披露するなど、抜群の知名度を誇っている。
「勝手にシンドバッド」がいかに衝撃的だったか解説
ラ~ラ~ラ~ララララ~ラ~ラ~♪
例え「勝手にシンドバッド」という曲を知らない人でも、イントロを聴かせれば「あ、聞いたことある!」となるのではないだろうか。
そのくらい、巷でよく流れているし、一度聞くと頭から離れなくなる。
「勝手にシンドバッド」がいかに衝撃的だったか、そしてどのような影響を与えたのか、当時の背景を交えながら解説してゆく。
音楽ファンから注目はされていたものの、当初はヒットしなかった
今でこそ知名度のある「勝手にシンドバッド」だが、実は発売当初は売れなかった。
とはいえ、音楽ファンから注目はされていたらしい。
それを裏付けるエピソードがある。
1978年6月9日(ロックの日)に放送されたラジオ番組『甲斐よしひろの若いこだま』で「夏よ来い!ロックンロール大特集」というコーナーが行われた。
そのコーナーの最後に、パーソナリティの甲斐よしひろは"ある曲"を次のように紹介した。
甲斐よしひろ
これは絶対、売れる!この曲が流行んなきゃ、甲斐バンドも流行んないかも知れない
その"ある曲"こそ、サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」だった。
放送後、リスナーからの反響は大きかったという。
そして放送の二六日後の6月25日、満を持してサザンはデビューし、「勝手にシンドバッド」を発売する。
しかし、前述の通り、当初は売上は乏しかった。
オリコン初登場で132位だった。
人気番組『ザ・ベストテン』出演をきっかけに人気に火が付いた「勝手にシンドバッド」
大きな転機になったのが、1978年8月31日放送の音楽番組『ザ・ベストテン』の出演だった。
テレビ初登場は7月31日放送の『夜のヒットスタジオ』だが、レコードの売上から見て、決定打となったのが『ザ・ベストテン』出演である。
メモ
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『ザ・ベストテン』は1978年1月19日から放送スタートした。つまり『ザ・ベストテン』とサザンオールスターズは同期なのだ。当時の『ザ・ベストテン』は高視聴率をとっていたらしく、最高視聴率41.9%というとんでもない数値をたたき出している。『ザ・ベストテン』に出演することはかなりの影響力があったことが分かる。
「勝手にシンドバッド」を収録した1stアルバム『熱い胸さわぎ』(1978年8月25日発売)のプロモーションとしての出演だったのだが、実は意外な裏事情があっての出演だった。
サザンオールスターズが所属した事務所は"アミューズ"。
今でこそ大手事務所だが、当時はまだ新興事務所だった。
"アミューズ"を設立したのは、1977年に渡辺プロダクションを退社した大里洋吉。
もともとサザンのデビュー曲は「別れ話を最後に」というミディアムバラードか「勝手にシンドバッド」にするかで迷っていた。その際、「勝手にシンドバッド」を推したのが大里洋吉である。大里洋吉の推薦によりデビュー曲が「勝手にシンドバッド」に決まったのだ。
彼はキャンディーズやザ・ピーナッツなどのマネージャーを務め、キャンディーズに関しては解散コンサートの総合演出も務めたエリート。
そんな彼だから、テレビ業界との関わりも深く、『ザ・ベストテン』のプロデューサーに「サザンオールスターズの出演」を直談判したのだ。
このような裏の事情があっての、『ザ・ベストテン』出演だった。
つまり、事務所もサザンを推していたのだ。
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衝撃的だった『ザ・ベストテン』出演時の「勝手にシンドバッド」
事務所の推しもあって、サザンはいよいよ1978年8月31日放送の音楽番組『ザ・ベストテン』に出演する。
なんと原由子以外のメンバーはジョギング用の短パン姿、桑田に関しては上半身裸。
さらに、黒柳徹子の「アーティストになりたいのか」という質問に
「いいえ 目立ちたがり屋の芸人で~す!!」
と回答する始末(笑)。
この発言、後に桑田はインタビューで「台本だった」と明かしている。ただ、桑田特有の照れ隠しのような気もするので、真偽は不明。
出典:https://ameblo.jp
そして、圧倒的なノリと意味の分からない歌詞の「勝手にシンドバッド」を披露。
この衝撃的な出演は視聴者に大きなインパクトを残すことになった。
そして、サザンの知名度は大きく上がり、「勝手にシンドバッド」は最高順位3位まで上りつめるのだった。
メモ
2003年6月25日(デビュー25周年)に発売した「勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス」は、当時桑田佳祐ソロ楽曲(「波乗ジョニー」「白い恋人たち」)が大ヒットしていたことも相まって、最高順位1位を記録した。なんと25年越しの最高順位更新となった。さらに約30万枚を売上げている。
「勝手にシンドバッド」のタイトルの由来は?
「勝手にシンドバッド」というタイトルの由来は、当時流行っていた沢田研二「勝手にしやがれ」とピンクレディー「渚のシンドバッド」をくっつけただけとされている(笑)。
ただ、桑田佳祐が2016年6月17日放送『ミュージックステーション』に出演した際は次のように語っている。
でも、それは『8時だョ!全員集合』で志村けんさんがアドリブとして言ってたネタなんです。
つまり、「勝手にシンドバッド」の本当の由来は"志村けんのネタ"からだったのだ。
「勝手にシンドバッド」は日本語ロックを確立させた
「勝手にシンドバッド」の歌詞を見ると、何がなんだかさっぱりわからない。
つまり歌詞に意味がない(笑)。
しかし、圧倒的な勢いと桑田の歌い方など、当時としては音楽的に斬新だったため、歌詞に意味がなくてもインパクトがあったのだ。
音楽評論家のスージー鈴木氏は、「勝手にシンドバッド」によって、日本語ロックを確立させたと語っている。
以下は著書『サザンオールスターズ 1978-1985』からの引用。
今となっては信じられないが、70年代の半ばまで、『日本語はロックに乗らない』と、真面目に考えられていたのである。そんなつまらない固定観念が、『勝手にシンドバッド』1曲によって、ほぼ完全に抹殺された。
「勝手にシンドバッド」における桑田の歌詞の乗せ方は、それ以前の歌謡曲とは違かった。
早口で英語みたいで.......全く聞き取れない歌い方だった。
テレビ初登場の「夜のヒットスタジオ」では、あまりにも歌詞が聞き取れないため、歌詞をテロップ表示するという措置がとられた。これが後に、音楽番組で歌詞テロップを表示させるきっかけになったと言われている。
まるで洋楽のように、歌詞がわからなくても、勢いでノリノリになる。
そして口ずさみたくなる。
そんな日本語ロックを「勝手にシンドバッド」で確立し、サザンオールスターズは国民的グループへと成長していくのだった。
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まとめ
私は「勝手にシンドバッド」発売当時はまだ生まれていないため、衝撃を味わっていない。
でも、様々なコラムを読んでみると、やはり「勝手にシンドバッド」は日本の音楽史に刻まれる記念碑的な作品だったことが分かる。
明石家さんまは「勝手にシンドバッド」を聞いたときは"一発屋"と思っていたらしい。
おそらく私も当時を生きていたら、一発屋だと思っていたとおもう(笑)。
しかし、その後も大ヒット曲をあまた作りだし、未だに第一線で活躍するサザンオールスターズ.............
完全なるモンスターバンドだ。
最後までご覧いただきありがとうございました。