米津玄師が菅田将暉とコラボした曲「灰色と青」。「灰色と青」は、米津玄師から菅田将暉への直接オファーにより実現した。実はこの曲、"ある映画"が元になっている。本記事では、「灰色と青」と元になった"ある映画"との関係性について分かりやすく解説する。
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米津玄師の「灰色と青(+菅田将暉)」とは?
出典:https://www.amazon.co.jp
「灰色と青(+菅田将暉)」は、2017年11月1日に発売した米津玄師の4thアルバム『BOOTLEG』の収録曲。
もともと、"(+菅田将暉)"の部分は"(+?)"となっており、コラボ相手が隠されていた。
出典:https://reissuerecords.net
当時人気若手俳優だった菅田将暉が米津玄師とコラボするということで、かなり注目を集めた。
米津玄師が男性とコラボするのは初めて。
ちなみに、菅田将暉は2017年6月7日「見たこともない景色」でソロデビューしている。
つまり「灰色と青(+菅田将暉)」は、菅田将暉にとってデビュー直後の作品でもあった。
メモ
ちなみに菅田将暉は、役でも"歌をうたう人"を演じることが多い。特に、2016年公開の映画『何者』では、バンド活動をしている大学生を演じた。そして、『何者』の主題歌だったのは、実は米津玄師が作詞・ゲストボーカルで参加した楽曲「NANIMONO」。米津玄師と菅田将暉は、2016年時点で、1つの映画を通して繋がっていたのだ。
「灰色と青(+菅田将暉)」と"ある映画"の関係性とは?
「灰色と青(+菅田将暉)」は"ある映画"が元になっている。
あらかじめ言っておくと、その"ある映画"とは、
『キッズ・リターン』
だ。
あらすじ
落ちこぼれの高校生マサルとシンジは、高校が受験ムードになっても悪戯やカツアゲなどをして勝手気ままに過ごしていた。ある日、カツアゲの仕返しに連れて来られたボクサーに一発で悶絶したマサルは、自分もボクシングを始め舎弟のシンジを誘うが、皮肉にもボクサーとしての才能があったのはシンジであった。
ボクシングの才能がないと悟ったマサルはボクシングをやめ、以前にラーメン屋で出会ったヤクザの組長のもとで極道の世界に入り、二人は別々の道を歩むことになる。高校を卒業しプロボクサーとなったシンジは快進撃を続け、マサルは極道の世界で成り上がっていく。
1996年公開『キッズ・リターン』。
監督は北野武、主演は金子賢・安藤政信。
この映画が、「灰色と青(+菅田将暉)」の元になったのである。
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映画『キッズ・リターン』のような音楽を作りたかった米津玄師
インタビューによると、米津玄師は北野武監督作品が好きだという。
そして『キッズ・リターン』は米津玄師に「このような音楽を作りたい」と思わせるほどの影響を与えた。
しかし、すぐにはそういう音楽を作ることができなかった。
米津玄師は次のようなコメントを残している。
映画(キッズ・リターン)を見てから、『こういう音楽を作りたい。でもそれは、いつ、どこで、どういう形なんだろう?』と、ずっと思っていた。
そうした中で、米津玄師は菅田将暉という人間を見つける。
米津玄師と菅田将暉の出逢いは必然だった
2017年10月に放送されたラジオ「菅田将暉のオールナイトニッポン」にて、米津玄師は次のように語っている。
僕にとっての菅田くんの第一印象っていうのは、映画で。2014年のときに俺の「アイネクライネ」っていう曲が東京メトロのCMソングになって。その映像を撮ってくれた、監督の『そこのみにて輝く』って映画を見させてもらったときに出てて。(略)それですげー人いるなと思って。なんていうかビビットで、ある種暴力的なニュアンスのあるこの人は何なんだ!?っていう興味から始まって。
菅田将暉の第一印象は映画『そこのみにて輝く』だった。
そこから、米津玄師の頭の中に"菅田将暉"という存在が現れたという。
その後、『ディストラクション・ベイビーズ』や『溺れるナイフ』での菅田将暉を見て、ますます存在が大きくなっていった。
このエピソードを聴いて、私は「米津玄師と菅田将暉の出逢いは必然だったんだなぁ」と思った。
「アイネクライネ」の映像を撮ってくれた監督。その監督の映画を見て存在を知り、2016年には『何者』で"音楽家"と"俳優"という異なる分野で同じ作品に関わり、ついには同じ作品を2人で作るようになる。
才能ある者同士は必然的に引かれ合うのだなぁと思った。
「灰色と青(+菅田将暉)」は"異なる分野で戦っている二人が歌うデュエット"じゃなければならない
米津玄師はインタビューで次のように語っている。
自分は音楽家で、菅田くんは俳優。それぞれ表現方法はぜんぜん違うけれど、なにか共通している部分があるんじゃないか、という考えが頭から離れなかった。そんな時、『キッズ・リターン』と結びついて、『曲になる!』『今だ!』って思って、バーっと作って、形になって、曲になりました
『キッズ・リターン』は、簡単に説明すると、ボクサーを目指す若者とヤクザの親分を目指す若者の青春物語。
つまり、米津玄師は『キッズ・リターン』における"ボクサー"と"ヤクザ"を、"音楽家"と"俳優"に置換えたのだ。
そう考えると、やはり「『キッズ・リターン』のような音楽」というのは音楽家だけでは成立しない。
ましてや、ソロで歌うことも出来ない。
"異なる分野で戦っている二人が歌うデュエット"というフォーマットじゃなければいけなかったのだ。
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まとめ
「灰色と青(+菅田将暉)」には"自転車"や"タクシー"など、『キッズ・リターン』を彷彿とさせる歌詞が登場する。
ぜひ、「灰色と青(+菅田将暉)」の世界観をより深く味わいたいなら、『キッズ・リターン』を見てみてほしい。
米津玄師と菅田将暉という才能も知名度もある2人。
でも、そんな彼らにも不遇の時代があったはず。
そうでないと「灰色と青(+菅田将暉)」がこんなにも胸に響く作品にはならない。
最後までご覧いただきありがとうございました。