今なお語り継がれている伝説的なバンド・はっぴいえんど。その最も有名な楽曲「風をあつめて」は多くの歌手にカバーされている。本記事では、「風をあつめて」が多くの歌手にカバーされる理由や歌詞の意味を解説する。いまなお色褪せない名曲「風をあつめて」に、ぜひ興味を持ってくれると嬉しい。
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はっぴいえんどの「風をあつめて」とは
出典:https://www.amazon.co.jp
1971年11月20日に発売された、【はっぴいえんど】の2ndアルバム『風街ろまん』収録曲。
【はっぴえんど】という伝説的なバンドの、最も有名な曲。
最も有名な曲にもかかわらず、アルバム収録曲というのが驚き。
ボーカルと作曲は細野晴臣、作詞は松本隆という、超有名作家の共同作品。
はっぴえんどのメンバー
- 細野晴臣
- 大瀧詠一
- 松本隆
- 鈴木茂
ちなみに、【はっぴえんど】は、3~4年程度しか活動しておらず、ヒット曲も残していない。
しかし、その後のメンバー達の偉大すぎる功績によって、当時は斬新だった日本語ロックをやっていたことなどが発掘され、80年代以降から徐々に再評価される。
はっぴえんどの功績や歴史などは、もはやあらゆる論者に語り尽くされており、私自身まだまだまだまだ知識不足。
正直、「風をあつめて」くらいしか分からない…
なので、本記事では「風をあつめて」に関することのみに絞って、【はっぴいえんど】というバンド自体の説明は割愛させていただく。
はっぴいえんどに関する多数の資料を読み、しっかりと知識がついたときには、改めて記事にしたいと思う。
はっぴいえんどは伝説化しているので、間違った情報を書いてしまうと、コアな音楽ファンの方に怒られそうなので...(笑)。
はっぴいえんどの「風をあつめて」が多くの歌手にカバーされる理由とは?
「風をあつめて」は、【はっぴえんど】作品の中で最もカバーされている楽曲である。
カバーしたアーティストの表をつくったので見てほしい。
アーティスト名 | 発売年 | 収録作品 |
矢野顕子 | 1987年 | 『GRANOLA』 |
坂上香織 | 1989年 | 『夏休み』 |
楠瀬誠志郎 | 1989年 | 『僕がどんなに君を好きか、君は知らない』 |
塚本晃 | 1993年 | 『はっぴいえんどに捧ぐ』 |
太田裕美 | 1999年 | 『Candy』 |
矢野真紀 | 2000年 | 「タイムカプセルの丘」 |
Leyona | 2001年 | 『Niji』 |
DEEN featuring BEGIN | 2002年 | 『和音〜Songs for Children〜』 |
MY LITTLE LOVER | 2002年 | 『HAPPY END PARADE〜tribute to はっぴいえんど〜』 |
和田アキ子 | 2006年 | 『今日までそして明日から』 |
Soma | 2007年 | 『Essence of life "smile"』 |
加藤いづみ | 2008年 | 『favorite』 |
オトナモード | 2010年 | 『雨の色 風の色』 |
MOOMIN | 2010年 | 『Souls』 |
プリシラ・アーン | 2012年 | 『ナチュラル・カラーズ』 |
森恵 | 2013年 | 『RE:MAKE1』 |
豊崎愛生 | 2018年 | 『AT living』 |
およそ14組ものアーティストが、「風をあつめて」をカバーしている。
この14組以外にも、ライブやラジオで「風をあつめて」をカバーしたアーティストはたくさんいる(ミスチルやサカナクションなど)。この表はあくまで『「風をあつめて」のカバーを音源化しているアーティスト』をまとめている。
そして、注目して欲しいのが、2000年代以降のカバーが過半数を占めていること。
前述の通り、【はっぴいえんど】は80年代以降から徐々に再評価されている。
メモ
「風をあつめて」はあらゆる作品に使用されており、カバー同様【はっぴいえんど】の楽曲の中で最も多い。映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)、ドラマ『4TEEN』(2004年)。CMだと三菱電機(1990年)、東レ(1998年)、アサヒビール(2008年)、オロナミンC(2016年)。これらを見ても、2000年代以降に使用されている割合が多いことが分かる。
再評価の流れにそって「風をあつめて」は80年代後期から徐々にカバーされ、より多くの人に認知されていった。
この80年代からの"再評価+カバー"によって【はっぴいえんど】に触れた人々が、2000年代以降にアーティストとして芽を出し、「風をあつめて」をカバーしたり作品に使用したりしたのだ。
実際、アルトサックス&チュロス演奏者のKaoriは次のコメントを残しているので見てほしい。
Kaori
子供の頃から音楽は好きやったけど、はっぴいえんどには全く縁がなくて、CMでカバーされてた「風をあつめて」が初めて好きになった、はっぴいえんどの曲。二十歳も過ぎてたんじゃないかと思う。
まさに80年代からの「風をあつめて」カバーに触れており、そのカバーによって好きになっているのだ。
そう考えると、これからさらに【はっぴいえんど】(とりわけ「風をあつめて」)は大衆化していくのではないだろうかと、私は思う。
まとめるとこんな感じ。
- 【はっぴいえんど】が再評価(1980~)
- この再評価の流れにそって「風をあつめて」のカバー作品が生まれる(1987~)
- 再評価+カバー作品によって多くの人が「風をあつめて」に触れる(1987~)
- 「風をあつめて」に触れた人々が大人になりアーティストとして活動(2000~)
- 「風をあつめて」のカバー作品と使用作品が大量に生まれる(2000~)
- 2000年代以降のカバー作品や使用作品に触れた人々がアーティストとして活動(?~)
- 「風をあつめて」のカバー作品と使用作品が大量に生まれる(?~)
ようするに、循環していくということだ。
とはいえ、これはあくまで私の推測。
もしかしたら、【はっぴいえんど】再評価は止まってしまい、新たな音楽の波に飲み込まれ、埋もれていく可能性だってなくはない...。
「風をあつめて」を今の世代に伝えるためのカバー
そもそも、なぜ【はっぴいえんど】楽曲の中で「風をあつめて」が多くカバーされているのか。
理由は、もちろん完成度が高いからに他ならない。
もう一つの理由は、これは結果論だが、「風をあつめて」はたくさんカバーされているから認知度が高く、「せっかくカバーするなら認知度の高い曲が良い」ということで「風をあつめて」が選ばれる。
つまり、"人が集まるところに人は集まる理論"だ。
とはいえ、やはりカバーするからには、そのアーティスト自身が「風をあつめて」に思い入れがないといけない。
アルバム『AT living』で「風をあつめて」をカバーした、声優・豊崎愛生はインタビューで次のように語っている。
豊崎愛生
昔から取材をしてくださっている方には「もっとコアな選曲になると思ってました」と言われることもあるんですけど、今回のアルバムのコンセプトは“超絶ど真ん中”なんです。初めてのカバーアルバムは、よりたくさんの人が知っていて口ずさめる曲を集めたくて。(中略)当時を生きていない私みたいな子たちに「こんなにすごいことが約半世紀前に起こっていたんだよ」という事実をちゃんとメッセージとして伝えて、橋渡しにできたらいいなと思ったんです。
【はっぴいえんど】に対するリスペクト、そして何よりも「今の世代に伝えたい」という想いがカバーすることに繋がっているのだ。
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はっぴいえんど「風をあつめて」の歌詞の意味とは?
【はっぴいえんど/歌詞の意味①】歌詞が難解なので、大人になると良さが分かる!?
バンド・KIRINJIの堀込高樹はインタビューで次のように語っている。
堀込高樹
高校生の頃に初めて聴いて、そのときは詞の意味はまったくわからなかったんです。後年CDが再発されて、聴きながら文字面を追っていくとすごくイメージが広がる詞で、しかも松田聖子にも詞を書いてる「あの松本隆か」って意外だったりして。
このコメントを見ると、「風をあつめて」は大人になって良さが分かる曲なんだと分かる。
たしかに、「風をあつめて」は歌詞が難解。
子供の頃には分からなくても、大人になると分かってくるということだ。
例えば、子供の頃は「なんで大人は苦いピーマンなんか食べるんだろう」と思っていたが、大人になると「この苦みが良いんだよなぁ」となる。
まさに「風をあつめて」はピーマンのようなものだ(笑)。
【はっぴいえんど/歌詞の意味②】開発によって近代化していく東京を、ただ見ているだけ
評論家・佐々木敦は次のように語っている。
佐々木敦
『風街ろまん』の中でも屈指の名曲。ここにあるのは、透明で詩的な文体で書かれた、淡々とした情景描写、ただそれのみです。物語もなければ主題もない。いや、よく読んでみればどうやら、「都市」と「自然」の相克、というようなことが描かれているらしいことはわかるのですが、かといって松本隆の狙いが、そうした言語化されたテーマとして抽出できるようなことにはないのは明らかだと思います。
とても的を得ている批評だと思った。
たしかに「風をあつめて」はほとんどが"淡々とした情景描写"だけで構成されている。
そこに意味を見いだす必要はない。
いや、意味を見いだす前に、自然と体を気持ちよく通り抜ける。
そんな空気のような1曲だ。
まあとはいえ、本記事は歌詞の意味を伝えることが目的でもあるので、解説したいと思う。
「風をあつめて」は開発によって近代化していった当時の東京を描写している。
作詞した松本隆曰く、歌詞に出てくる"背のびした路次"だけは、当時の浜松町をイメージしたという。
そして、そこから主人公の心理描写へと広がる。
1番~3番すべてがこの構成だ。
ただ、そこには説教臭さは一切無く、ただ変化していく環境を"見ているだけ"。
まずは冒頭の歌詞を引用したので見てほしい。
街のはずれの
背のびした路次(ろじ)を 散歩してたら
汚点(しみ)だらけの 靄(もや)ごしに
起きぬけの露面電車が
海を渡るのが 見えたんです
簡単に言いかえると、散歩してたら路面電車が見えた、ということ。
そして、"汚点だらけ~"の箇所で当時の光化学スモッグなどといった環境汚染を匂わせている。
この歌詞だけとっても、難解というか、文学性が高いことが分かると思う。
"路地"を"路次"、"路面"を"露面"としているのが意味ありげ。
音楽評論家・小貫信昭は次のように評している。
歌を聴いてるだけでは この表記であることに気づかない。(中略)この作品を詩歌のように、目でも楽しんで欲しいと願ったからだろう。
たしかに、あえて違う漢字を使うことで、歌詞を見るだけでも楽しめるようになる。
"いつもと違う居心地の悪さ"みたいなのを狙ったのかもしれない。
でも、それによって「風をあつめて」がどこか神聖に見えていい。
ちなみに、"海を渡って~"の箇所は安西冬衛の「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」にインスパイアされている。
【はっぴいえんど/歌詞の意味③】空を飛びたいことに意味はない
2番の歌詞では、防波堤越しから都市を見ている。
そして、3番の歌詞では、朝の珈琲屋で高層ビル下の混雑を見ている。
ただ、見てるだけ。
詩的な表現が見事に、何てことの無いただの情景に、風情を加えてくれる。
そして、主人公の心理描写がこちら。
風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を
風をあつめ空を翔けたい。
なんでだろう…。
いや、きっと、意味なんてない。
ただ飛びたいだけなのだ。
抽象的なので、深読みはしやすい。
例えば、"大物になる"という深読みも...。
人それぞれだけれど、私は「風をあつめて」の世界観を考えると、やはり"空を飛びたい"ことに意味はないと思う。
逆説的だけれど、意味がないからこそ美しい。
作詞した松本隆は次のようなコメントを残している。
細野さん(ボーカル)は別に「この詞がどういうことを語っていて、なんで『風をあつめて』なんだろう?」とか、全く考えないでただ歌っているような気がする。だから感情移入とかはまずゼロだと思う。それが逆にいいんだよね。
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まとめ
近代化し、過去の美しい風景が壊されていった70年代。
それを、ただただ見ているだけの人間。
細野晴臣の良い意味でけだるい声が、時の流れには逆らえないことを悟り、ただただ時間に身を任せているような印象を受ける。
そして、松本隆の詩的な歌詞も相まって、「風をあつめて」は異世界のような神聖な雰囲気をまとっているのだ。
なんか、死ぬことすらも怖くないような、そんな諦めの境地に達した人間をイメージすることができる1曲。