フジファブリックの楽曲の中でトップクラスの知名度を誇る「若者のすべて」。夏の終わりの切なさを描いた名曲として、多数のアーティストがカバーしている。また、あるCMやドラマで意外な使われ方をしている。本記事では、そんなフジファブリックの名曲「若者のすべて」について解説する。
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フジファブリック「若者のすべて」とは?
出典:https://www.amazon.co.jp
2007年11月7日に発売された、フジファブリック通算10作目のシングル。
3rdアルバム『TEENAGER』の先行シングルだった。
「若者のすべて」の作詞・作曲をしたのは、フジファブリックの当時のボーカル・志村正彦。
惜しくも、志村正彦は「若者のすべて」発売から約二年後の2009年12月に、29歳の若さで亡くなってしまう。
そのため、志村正彦亡き現在は山内総一郎がボーカルを務めている。
メモ
「若者のすべて」というタイトルは、往年の映画やドラマにも同タイトルのものが存在する。例えば、1960年公開のイタリア映画や1994年放映の木村拓哉主演ドラマなど。あらかじめ言っておくと、これらの作品とフジファブリックの「若者のすべて」は全く関係が無い。ただ、これらの映画やドラマに共通しているのは、若者特有の何者にもなれない自分に対する不満、そして煮え切らない狂気を描いていること。志村正彦が、「若者のすべて」と命名した理由は、歌詞の内容が少なからずこれらの映画やドラマにインスパイアされたからかもしれない。
様々なアーティストがカバーした「若者のすべて」
フジファブリック「若者のすべて」は発売後、様々なアーティストにカバーされている。
例を挙げると、Mr.Childrenの桜井和寿、スピッツの草野マサムネ、槇原敬之、さらには柴咲コウなど。
いかに「若者のすべて」が、同業者の間でも評価が高いことが分かる。
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フジファブリック「若者のすべて」を詳しく解説
元々は評価が低かった「若者のすべて」
今でこそ、数々のアーティストがカバーされ、名曲として知れ渡っている「若者のすべて」。
しかし、発売当初は評価がさほど高くなかった。
まず「若者のすべて」というのは"夏の終わりの切なさ"を描いた曲。
にもかかわらず、発売は11月7日というもはや冬になりかけている時期だった。
なぜ、歌詞の内容に合わせて8月後半~9月前半に発売しなかったのか。
これは、「若者のすべて」に対するメンバーやスタッフの反応がイマイチだったからだ。
唯一、作詞作曲の志村正彦だけが推していたという。
結局、「若者のすべて」をシングルにする予定はなくなった。
しかし、急遽3rdアルバム『TEENAGER』の先行シングルを発売することが決まった。
そこで「若者のすべて」が先行シングルとして選ばれたのだ。
「若者のすべて」は、最高順位30位でタイアップは地方ローカルのみだった
「若者のすべて」のオリコン最高順位は30位。
これは直近のフジファブリックのシングルと比べると、低い方である。
発売日 | タイトル | 最高順位 |
2007年6月6日 | 「Surfer King」 | 23位 |
2007年9月5日 | 「パッション・フルーツ」 | 26位 |
2007年11月7日 | 「若者のすべて」 | 30位 |
2009年4月8日 | 「Sugar!!」 | 14位 |
2012年5月16日 | 「徒然モノクローム/流線形」 | 12位 |
さらに、「若者のすべて」発売当初のタイアップはテレビ神奈川『saku saku』のみ。
つまり、CMやドラマや映画といった大型タイアップ作品ではなかった。
発売当初はまだ一部音楽ファンの間にしか知名度は広がっていなかったことが分かる。
志村正彦の急逝により「若者のすべて」は有名になってゆく
「若者のすべて」発売から約二年後、
ボーカルの志村正彦が急逝する。
死因は不明。
この訃報は全国に駆け巡った。
以下は当時の朝日新聞による報道である。
「フジファブリック」のボーカル、志村正彦さん死去
2009年12月26日
ロックバンド「フジファブリック」のボーカル兼ギターの志村正彦(しむら・まさひこ)さんが24日死去した。29歳だった。バンドの公式サイトで明らかにされた。死因は「病名不詳」としている。葬儀は親族と関係者で行う。
フジファブリックは2004年にメジャーデビューした4人組。5月に出したアルバム「CHRONICLE」はオリコン週間チャートで8位に入った。今月29日の大阪市と同30日の千葉市でのライブ出演は中止する。
この訃報は、今までフジファブリックを知らなかった人々にまで伝わった。
そして、志村正彦が亡くなってから約半年後の2010年7月、あるミュージシャンが「若者のすべて」をカバーする。
そう、Mr.Childrenの桜井和寿である。
定期的に開催している音楽フェス「ap bank fes」にて、桜井和寿は「若者のすべて」をカバーしたのだ。
「ap bank fes」では、桜井和寿がボーカルとして参加しているバンド「Bank Band」が、あらゆるアーティストの楽曲をカバーする。フジファブリックの楽曲をカバーするのは、このときが初めてだった。
「若者のすべて」が有名アーティストにカバーされるのは、桜井和寿が初めてだった。
これを機に「若者のすべて」はあらゆるアーティストにカバーされ、知名度を高めていく。
「若者のすべて」は志村正彦の故郷・富士吉田市で"チャイム"として使用された
志村正彦の死後、故郷である山梨県富士吉田市にて、彼の同級生達が「路地裏の僕たち」というチームが結成された。
メモ
「路地裏の僕たち」という名前は、フジファブリックの楽曲「陽炎」の歌詞に由来する。
あの街並み 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ
「路地裏の僕たち」は、まず2010年11月に、志村正彦ゆかりの品を飾った展示会を開いた。
この展示会は特に告知もしてなかったにもかかわらず、フジファブリックの多くのファンが来たという。
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/okada11/diary/201802090032/
これを機に、2011年と2012年の命日(12月24日)には立て続けに「志村正彦展」を開催した。
「路地裏の僕たち」はこうした活動を続けていった。
そうした中で、高校生や地元住民から以下の問い合わせが来た。
高校生や地元住民
「防災チャイムを『若者のすべて』に変えてほしい」
この問い合わせにより、「路地裏の僕たち」は尽力して、2012年12月22日~24日の夕方5時の防災チャイムが「若者のすべて」に変わったのだ。
出典:https://matome.naver.jp
メモ
実際、「若者のすべて」の歌詞には"夕方5時のチャイム"が登場する。
夕方5時のチャイムが
今日はなんだか胸に響いて
これ以降、志村正彦の誕生日7月10日と命日12月24日の前後一週間は、チャイムが「若者のすべて」「茜色の夕日」に変わる。
つまり、「路地裏の僕たち」という志村正彦の同級生達の切実な想いが、結果として「若者のすべて」の知名度を高めた一因となり、確固たる名曲としての地位を確立していったのだ。
CMやドラマなどで意外な使われ方をした「若者のすべて」
志村正彦の急逝、桜井和寿など有名アーティストのカバー、同級生達の活動。
様々な要因が重なって、「若者のすべて」は着々と知名度を得て、フジファブリックの代表曲となっていった。
そして、CMやドラマで意外な使われ方をするくらい、世間一般に通じる名曲となった。
2013年放映ドラマ『SUMMER NUDE』で重要な役割を果たした「若者のすべて」
出典:https://www.pinterest.jp
2013年7月よりフジテレビ月曜9時にて放映されたドラマ『SUMMER NUDE』。
山下智久主演の恋愛ドラマである。
その第二話にて、「若者のすべて」が劇中歌として使用された。
さらに、香澄(長澤まさみ)と朝日(山下智久)が「若者のすべて」の解釈を議論するというシーンも。
つまり、単なるバックミュージックではなく、しっかりとドラマの内容に踏み込んだ使われ方をしたのだ。
『SUMMER NUDE』プロデューサーの村瀬健はTwitterで次のように語っている。
そうなんです、月9ドラマ「SUMMER NUDE」が無料配信されるんですよね。真心ブラザーズ「サマーヌード」とフジファブリック「若者のすべて」という個人的「二大夏名曲」にインスパイアされて作ったこのドラマ、梅雨明けして夏も来たことですしこの機会にぜひご覧下さいませ。#山下智久 #コード・ブルー https://t.co/RasR0bpP6m
— 村瀬健 (@sellarm) 2018年6月30日
『SUMMER NUDE』企画段階から「若者のすべて」は影響を与えていたのである。
2018年放映CM『LINEモバイル:虹篇』にて9年の時を経て使用された「若者のすべて」
出典:https://mobile.line.me
2018年7月より放映されたCM『LINEモバイル:虹篇』。
このCMで「若者のすべて」が使用された。
9年前の曲である「若者のすべて」が起用されるということでファンは驚いた。
いかに「若者のすべて」が時を超えて人々に愛されているかが分かる。
2019年放送『ミュージックステーション』にて志村正彦生前の映像と共に披露した「若者のすべて」
出典:https://matome.naver.jp
2019年8月9日の放映された『ミュージックステーション』で、フジファブリックが初出演した。
ちなみに2019年というのは、フジファブリックデビュー15周年でもあり、志村正彦没後10年だった。
志村正彦は生前、ノートに「ミュージックステーションに出たい」と書き残していた。
演奏したのはもちろん「若者のすべて」。
さらに、「若者のすべて」演奏の途中から志村正彦の映像と歌声が流されるという特別演出を披露。
志村正彦の「ミュージックステーションに出たい」という夢は、10年の時を経て実現したのだ。
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まとめ
CMやドラマにも使用され、「若者のすべて」は今もなお多くの人々に愛されている。
作詞作曲、そしてボーカルの志村正彦は29年しか生きることができなかった。
つまり、彼は若者のままこの世を去っていった。
「若者のすべて」というタイトルは、若者のまま生涯を閉じた志村正彦そのものを表しているようにも思う。
「若者のすべて」という名曲を残してくれた志村正彦に感謝し、彼が生きていたことを後世に伝えていくことが、私たちファンの役割だ。
最後までご覧いただきありがとうございました。